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2016年8月 2日 (火)

局長・近藤の死

江戸に戻った新撰組は、旧幕府から新政府軍の甲府進軍を阻止する任務を与えられ、甲陽鎮撫隊と名を改めて、甲州街道から甲府城を目指して進軍するが、その途中、甲州勝沼の戦いにおいて新政府軍に敗退する。

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再び江戸に戻った新撰組は、今後の方針で意見が対立し、試衛館以来の仲間である永倉新八、原田左之助が隊を離脱した。

 

 

近藤・土方は隊を再編成し、再起をかけて下総国流山(現在の千葉県流山市)の光明院・流山寺に分宿して長岡七郎兵衛宅を本陣とし、越谷に本陣を置いていた新政府軍の背後を襲う計画を立てる。

 

しかし、新撰組は武装準備不十分の状態で新政府軍に包囲された。こ新政府軍はこの時点では武装勢力を不信に思っていただけで、それが新撰組とは気付いていなかった。

 

新政府軍は薩摩や長州といった新撰組が京都で取り締まった者達が占めているため、新撰組であることが発覚するかしないかで、隊士もろもろの処遇が大きく変わる状況となる。

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 近藤勇

近藤は意を決して単身、新政府軍に出頭し、自らを「大久保大和」と名乗り、武装組織が新撰組とは無関係であることをアピールするが、ところが、新政府軍の中に、かつて新撰組が暗殺した伊東甲子太郎の御陵衛士であった加納鷲雄、清原清がため、新撰組の局長・近藤勇であることが発覚してしまう。

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結果、近藤は、板橋刑場で斬首され、その首は京都の三条河原に晒された。

 

 

 

同じ頃、沖田総司は持病だった肺結核により江戸にて死亡、彰義隊に加入していた原田左之助は上野戦争で戦死。

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新選組は「宇都宮城の戦い」「会津戦争」などに参加するが、会津では斎藤一らが離隊。

 

 

 

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